
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行 ORIENT EXPRESS‘88
「オリエント急行」は1883年にパリ―コンスタンチノープル(イスタンブール)間で運行を開始したのが始まりです。
パリ・ロンドンからヨーロッパ大陸を東へとひた走る豪華国際列車オリエント急行は
開通以来エチオピア皇帝、作家アガサ・クリスティなど乗客名簿に著名人が名を連ね、人々の羨望の的となってきました。
往年の客車を使用した列車は、1977年に一旦廃止されましたが、余剰となった客車はオークションにかけられ
スイスの旅行会社イントラフルーク社が客車、食堂車などを落札。
1981年からノスタルジー・イスタンブール・オリエント・エクスプレス(NIOE)として復活を果たし欧州各地を走らせました。
紆余曲折後に1988年に日本に上陸したのはこの列車でした。
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行 ORIENT EXPRESS‘88 日本上陸
-日本各地を巡ったN.I.O.E. 日本の原風景とシンフォニーを奏でる-
1988年9月7日、36名の乗客を乗せた「パリ発東京行き」オリエント急行NIOEの編成がパリ・リヨン駅を出発しました。
スイスの鉄道マニアでありNIOEの生みの親、イントラフルーク社のアルベルト・グラット氏が編成した
ワゴン・リ客車はフジテレビ開局30周年記念、日立カルチャー・スペシャルとして日本上陸し話題をさらいました。
フランス・ベルギー・西ドイツ・東ドイツ・ポーランド・ソビエト連邦・中国・香港と走行し、
香港より船で東シナ海を渡り日本の山口県下松に上陸後、およそ2ヶ月にわたりJR在来線の主要幹線を巡り日本各地を一周しました。
その姿を見た当時のJR各社が受けたインパクトは大変強いものであり、その後、
東日本は豪華寝台列車〈夢空間〉の試作、JR北海道は寝台列車〈北斗星〉の個室車両の増備や
設備のグレードアップを実施し、JR西日本は〈トワイライトエクスプレス〉を誕生させるまでになりました。
撮影:佐々木直樹 氏
パリ-東京間 14599km世界鉄道史上最長距離の樹立
-ギネスブックの認定-
1988年秋、スイスを中心に運行していたN.I.O.Eは“オリエントエクスプレス’88”としてその美しい姿でユーラシア大陸を渡り全走行距離14599kmという世界鉄道史上最長距離の樹立を成し遂げました。
その快挙により【ギネスブック】の認定を受け、さらに同じ列車で3種類のゲージ(鉄道の幅)を走ったのも鉄道史上初となりました。
撮影:佐々木直樹 氏
走る美術館として
-オリエント急行箱根ラリック美術館保存車-
アール・ヌーボーの影響がみられる食堂車の天井には、植物模様や花型のランプ、荷物を乗せる網棚のつる草模様など、装飾性の高い優美な特徴がちりばめられています。
アール・ヌーボーを代表する工芸作家『ルネ・ラリック』のガラスレリーフも有名で意匠として残されています。
パリ~東京間を走ったオリエント急行’88のこの貴重な一両は、箱根のルネ・ラリック美術館に収集され一般客にも公開されています。
ブルーの車体に潸然と輝くワゴン・リ社の最初の紋章も、二匹のライオンを囲む輪が樹の葉で飾られ走る美術館の名の通り、華麗なデザインとなっています。
関連作品
【ブルーのプリマドンナ】
走る姿の美しさと高貴な色とされるロイヤルブルーの美しい車両はオリエント急行の一番の魅力です。
【オリエント急行殺人事件】
アガサ・クリスティのミリオンセラー。オリエント急行の中で起こった殺人事件をめぐって、それに関わった人間群像の愛憎と名探偵エルキュール・ポワロの活躍を描いたアガサ・クリスティの同名小説を映画化。上流社会の代名詞であったオリエント急行、国境を越えたスリリングな旅は多くの人の憧れでした。
【ロシアより愛をこめて】
イアン・フレミングの原作、007シリーズ国際列車、寝台車、豪華な食堂車、その中でのスパイとの駆け引きとジェームスボンドの活躍は映画化され大ヒットしました。
【模型】
「箱根ラリック美術館」にもその一台が収蔵されています。そこで展示保存されるプルマンカー4158は、ルネ・ラリックが内装を手がけた14両のうちの1両で車内は150点あまりのガラスパネルの装飾とで正に走る芸術品と呼ばれるにふさわしい内装が施されています。
【箱根ラリック美術館】
アール・ヌーヴォーとアール・デコの時代を駆け抜けた宝飾とガラス工芸作家、ルネ・ラリック。彼の生涯を綴った「箱根ラリック美術館」は自然とアートが響きあう心豊かになれる場所です。
ラリックの手掛けたノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行 SPECIAL EXHIBITION – 箱根ラリック美術館