マッシュ、チェコ画家「ミュシャ」の香水・雑貨ブランド

花と緑の研究所株式会社
ブライダルブーケの押し花、ドライフラワー加工商品
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スラブ叙事詩展
The Slav Epic
1928年 カラーリトグラフ 125x 84cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
20点の巨大な歴史画から構成されるミュシャのライフワーク「スラブ叙事詩」は、 チェコスロバキア独立10周年の1928年、プラハ市に寄贈された。そのうち独立記念日までに完成していた19点が、記念日に合わせて一般公開された。これはその告知のためのポスターだ。ポスターの上部を成す画像のみのパート(本作)と展覧会の概要を記した下部に分かれており、後の巡回展では下部の内容を入れ替えて使用した。
構図の前景にはハープを弾くスラブ人の少女が配され、背景には民族の神スベントビトが描かれている。この少女は、スラブ人の心をつなぐ音楽の擬人化された姿として「スラブ叙事詩」の18番目の作品「スラブ菩提樹の下で宣誓するオムランディーナの若者達」にも登場する。少女のモデルは、ミュシャの娘ヤロスラバ。背後のスベントビトは、過去、現在、未来を象徴する三つの顔を持ち、剣と角細工の酒杯を持った姿で描かれている。
イバンチッツェ地方祭
Regional Fair at Ivančice
1912年 カラーリトグラフ 93 x 59 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
ミュシャの故郷、現チェコ共和国南モラビア地方のイバンチッツェで、1913年に開催が予定されていた祭のために制作されたポスター、祭りの前年に用意したが、なんらかの事情でイベントが中止になり、このポスターが使用されることはなかった。しかしミュシャの故郷への想いが伝わる、重要な作品である。
画面の前景には、モラビア地方の民族衣装を着た2人の少女が花輪や花束を持って描かれ、背景には、町のシンボルである教会の鐘楼が配されている。少年時代のミュシャは、この教会の聖歌隊のメンバーとして活躍した。教会のタワーを旋回するツバメは、帰郷を象徴していて、このモチーフは、ミュシャのパリ時代の作品「イバンチッツェの思い出」や、この時期から取り組んでいた連作「スラブ叙事詩」にも描かれている。宙に舞うリボンの赤と白はボヘミア王国のシンボルカラー。この時点でチェコはまだ独立国家ではなかったが、2色のリボンが国家の未来を祝福している。
月桂樹
Laurel
1901年 カラーリトグラフ 53 x 39.5 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
アイビーなどのツタと同様、常緑樹である月桂樹は不変のシンボルであり、芸術的創造の源となるインスピレーションを与えてくれる力があるとも信じられていた。主題は月桂樹の葉で飾られた赤のヘアバンドを着けた少女の姿として描かれ、背後のモザイクにミュシャの名前の頭文字「M」を図案化したモチーフが、装飾パターンとして取り入れられている。
このデザインは、後にパリの看板会社ドゥイの1910年用のカレンダーに利用された。また、「蔦」と「月桂樹」の両作品の円形部分は、そのまま飾り皿のデザインに転用された。
蔦
Ivy
1901年 カラーリトグラフ 53 x 39.5 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「蔦」は「月桂樹」と2枚1組で1901年に制作された装飾パネルだ。この時期は、02年に出版される「装飾資料集」(第9回参照)のための図版の仕事が同時進行だったこともあり、女性と自然が一体化したデザインの探求というミュシャの関心が現れている。
この作品では、ミュシャ様式のトレードマークである円環モチーフはフレームとして転用され、その中にツタの葉で髪を飾った豊満な女性の横顔が描かれている。アイビーなどの常緑樹のツタは不滅のシンボルであり、ミュシャはそれを女性の姿で擬人化した。背後には、天から女性に向かって放たれる精神的なエネルギーを象徴する矢のモチーフが、ビザンチンモザイクの体裁をとって描かれている。それは装飾的な効果を高めると同時に、主題となっているツタの不滅の生命力を表現している。
花
Flower
1897年 カラーリトグラフ 66.2 x 44.4 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「果物」と共通のシンプルな構図だが、この作品は、女性が持つ花束の長い茎によって画面を二分し、右上の肩の滑らかさと左下の衣装の細密な装飾性を対比させている。「果物」には成熟した容姿の女性が配されているのに対し、「花」ではブロンドのかれんな少女が描かれ、頭部を囲む白い百合の花がその清らかなイメージを強調している。少女の衣装を飾るレースや青糸の刺しゅう模様は、ミュシャの故郷モラビア地方の民族衣装に見られる装飾モチーフだ。ミュシャはチェコ人としてのアイデンティティーを、こうした形でさりげなく、自らのスタイルに溶け込ませながら主張した。
女性と自然が一体化した装飾的なフォームの追求は、翌年に制作される装飾パネルのシリーズ「花」にも見られ、1902年に出版された「装飾資料集」(第9回参照)で集大成する。
果物
Fruit
1897年 カラーリトグラフ 66.2 x 44.4 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「果物」と「花」は、二点一組の装飾パネルとして1897年に出版された。
サラ・ベルナールのポスターに代表されるように、装飾性に富んだ作品を多く手がけていたこの時期としては珍しく、きわめてシンプルな構図だ。アーチ型の枠いっぱいに女性の半身像が描かれ、背景からは,ミュシャ様式に特有な装飾モチーフがいっさい排除されている。そのかわり女性の豊満な姿態に、頭部を覆う花の髪飾りと両腕いっぱいの色彩豊かな秋の果物を組み合わせ、その調和的な視覚効果で装飾性を高めている。女性が自然と一体化したこの姿を通して、豊穣な自然とその恵みを祝福しているのであろう。
後にこのイメージは、アメリカの雑誌、「メトロポリタン マガジン」の表紙にも使用された。
「装飾資料集」図33
1902年 カラーリトグラフ 46 x 33cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「装飾資料集」は、72の図版から成るミュシャのデザイン見本集だ。職人やデザイナーが応用したり、美術学校の学生が参考にしたりできるようなマニュアル本として、1902年に出版された。人物や植物のデッサン、ポスターやタイポグラフィー、壁紙、アクセサリー、食器、家具や照明器具のデザインのためのアイディア、さらにはインテリアのプランなど、幅広いデザインのサンプルが収められている。
この図版は、壁紙やカーテンなど、室内装飾用ファブリックのためのデザインだろう。ユリの花と葉、茎の様式化された形態が、直線と曲線のリズミカルなパターンとなって装飾モチーフを形成している。ユリの花の背後に配された星の円環は、ミュシャが多くの作品で好んで用いたモチーフだ。
「装飾資料集」図38
1902年 カラーリトグラフ 46 x 33cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
この図案は、壁紙やファブリックとしての用途を意識して考案したものだろう。ヒナゲシが3通りのスタイルでデザイン化されている。画面の大部分を占めるのは、花と茎の複雑なフォームに茎の直線的な形態を組み合わせたモチーフを、黒を背景にしたシルエットの様に浮き上がらせたデザインだ。左上には花と曲線化した茎の組み合わせが描かれ、右上は上から見た花の形をデザイン化している。
こうしたデザインのために、ミュシャは数多くの植物をスケッチした。「装飾資料集」には、このヒナゲシの原点となる鉛筆による習作も掲載している。習作はヒナゲシの全体像に加えて、各部分の構造的な分析、さらには輪郭線だけによる描写など、自然の形態から装飾モチーフへとデザイン化された過程が良く分かるように工夫している。
椿姫
1896年 カラーリトグラフ 207.3 x 76.2 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
サラ・ベルナールとの専属契約後、最初に制作されたベルナール主演舞台の公演ポスター、アレクサンドル・デュマ・フィスの小説として有名な「椿姫」を、ベルナールは何度も演じていた。ミュシャのポスターは、1896年のリバイバル公演のために用意された。
このポスターは「ジスモンダ」と同様、縦長の構図をとり、ヒロインの椿姫は満天の星空をバックに、結核でやつれた体をバルコニーの手すりにもたせかけている。さらにミュシャは、ヒロインのシンボルである白いツバキの枝を持つ神秘的な「運命の手」や、悲恋を暗示する「血を流す心臓」などを装飾モチーフに取り入れながら、この悲劇のテーマを象徴的に表現した。
この舞台でミュシャは、ベルナールの衣装のデザインも任された。そのシックな衣装は約半世紀前に書かれた「椿姫」の古風なイメージを刷新し、当時のファッションにも影響を与えたといわれている。
ジスモンダ
1894Ω年 カラーリトグラフ 216x 74.2 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
挿絵画家として知られていたミュシャを、一躍ポスターデザイナーとして有名にしたのがこの作品。19世紀末のパリを席捲した大女優サラ・ベルナールのために、ミュシャが最初に手掛けたポスターだ。ビクトリアン・サルドゥによる戯曲「ジスモンダ」は1894年、ベルナールが主演しパリのルネッサンス劇場で初演されたが、その時の宣伝ポスターは知られていない。ミュシャのポスターは、翌年の正月公演のために制作されたものだ。
豪華なビザンチン風の衣装をまとった女優の立ち姿を、等身大で、ステージから切り取ったような迫力で描いたこのポスターは、パリの街角にセンセーションを巻き起こした。また作家の画力を示す流麗な線、パステル調の上品な色使い、そして主題の精神面を表現しようとする作風は、当時のパリの大衆が見慣れていた宣伝ポスターとは一線を画する物だった。この仕事でベルナールはミュシャを気に入り、専属デザイナーとして6年間の契約を結んだ。
「主の祈り」から
Le Pater: The First Heading Page
1899年 カラーリトグラフ 41 x 31 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「主の祈り」とは、「天におられるわたしたちの父よ」という一節で始まるキリスト教の祈りの言葉だ。ミュシャはこれに発想を得て、「主の祈り」の挿絵本を出版した。しかし出版の目的は、従来のキリスト教の教義の解釈ではなく、ミュシャ自身の理想――人類の進歩とは「愛」「許し」「知性」を学びながら真の人間性に覚醒する過程であるという哲学――の表現だった。
この図版は、「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください」という「主の祈り」第5節のための見出しページだ。ここでミュシャは「糧」という言葉を、人類の精神を豊かに育むための「愛」と解釈し、聖体拝領のパンを麦で、ぶどう酒を赤いポピーのモチーフで表現した。さらに慈愛の天使の手から糧をあたえられる雌鹿の姿や、英知の手から自由に空に飛び立つおびただしい数の鳥のイメージが、この節のメッセージを象徴的に描写している。
黄道十二宮
1896年 カラーリトグラフ 65.7 x 48.2 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「黄道十二宮」はミュシャの最も人気のある作品の一つだ。当初パリの印刷・出版会社シャンプノワの自社カレンダーとして考案されたが、他社のカレンダーや宣伝ポスター、装飾パネルなどにも利用され、9種類の転用例が知られている。
このポスターは、上下の囲い枠から文字要素を排除した、装飾パネルのバージョンだ。画面には、豪華なアクセサリーを身に着けた女性の胸元がくっきりとした輪郭を見せ、彫像のように描かれている。背後の円環には黄道十二宮のシンボルが組み込まれ、波打つ女性の髪がこの作品の装飾性を高めている。また、装飾の施された縁取りの上部には群葉が細密に描かれ、下部の両端にはヒマワリと太陽、アザミと月とをそれぞれ組み合わせた円形モチーフが配されて、調和のとれた構図となっている。
「イラストラシオン」クリスマス号表紙
1896年 カラーリトグラフ 42 x 32 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
ミュシャは書籍や雑誌の装画や挿絵を数多く手がけた。「イラストラシオン」は、イギリスの「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に触発され、1843年にパリで創刊されたフランスの雑誌だ。
この装画は、96年のクリスマス号の表紙のためにデザインされた。構図の中心には、アザミを持つ女性の亡きがらを天使が白布で包む埋葬の場面が描かれている。キリスト教ではアザミには受難の意味があり、これを持つ女性の亡きがらは、地上の苦難とともに過ぎ去ろうとしている年を暗喩している。新年への希望は、背後に見える降誕教会のシルエットによって象徴されている。さらに画面左端では、手袋をした3組の機械仕掛けの手と、雪をかぶったモミの木(クリスマスツリー)が、装飾的なモチーフを形成している。キリスト教では、手は霊的なエネルギーの伝導体であり、モミの木は生命力を象徴するとされる。ミュシャはこれらによって、規則正しい時の流れと、自然の調和をつかさどる神秘的な神の力を表現したのだろう。
ヒヤシンス姫
1911年 カラーリトグラフ 125.5 x 83.5 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「ヒヤシンス姫」は、1911年にプラハ国民劇場で初演されたバレエ・パントマイムの告知ポスターだ。この作品でミュシャは、ヒヤシンス姫に扮する女優アンドゥラ・セドラツコバの座った姿を画面いっぱいに描き、背後にはミュシャ作品のトレードマークとなった円環を配している。
このバレエ・パントマイムは、ある鍛冶(かじ)屋が見た夢の話として物語が進み、その中でヒヤシンス姫は、実は魔法使いにさらわれた鍛冶屋の娘の仮の姿だという設定になっている。こうした物語のテーマは、ヒロインの王冠や衣装を飾るヒヤシンスのモチーフ、円環の装飾模様に組み込まれた鍛冶屋の道具や錬金術の器具などにより、象徴的に表現されている。
砂浜のアザミ
1902年 カラーリトグラフ 75 x 35 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
主題の「アザミ」はキク科の植物。葉やつぼみにとげがあり、乾燥地や海岸に自生する花として知られている。ミュシャはそのイメージを、仏ノルマンディー地方の民族衣装を着た女性の姿で表現した。イギリス海峡に臨むこの地方は、フランスの政治史の中で常に戦略的な要所だった。画面では、たくさんの花をつけたアザミの茎を捧げ持つ女性の半身が、横向きの姿で描かれている。女性はレースの縁取りのあるコアフをかぶり、彩り豊かな花模様のスカーフが、簡素な黒のドレスに華を添えている。女性の誇り高い表情とアザミの花言葉「独立、防衛」が伝えるメッセージとが相まって、ノルマンディー地方の歴史的な立ち位置を想起させる作品だ。
このポスターのデザインは、1905年と07年のカレンダーにも使用された。
岸壁のエリカの花
1902年 カラーリトグラフ 75 x 35 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「岸壁のエリカの花」と「砂浜のアザミ」は、2枚1組の装飾パネルとして制作された。「岸壁のエリカの花」は、「エンヌボンからブルターニュ」というタイトルで1908年のカレンダーに転用されている。
主題となっている「エリカ」はヨーロッパに広く分布するツツジ科の植物で、そのイメージをミュシャは仏ブルターニュ地方の民族衣装を着た女性の半身像で表現している。女性はエリカの花束を胸に抱え、伏し目がちに見返るポーズで描かれている。装飾は最小限に抑えられ、コアフ(かぶり物)と襟の白さが女性の着る黒のドレスを引き立てている。ミュシャは、この控えめな美しさにエリカのイメージを重ねているのだろう。
黄昏
Dusk
1899年 カラーリトグラフ 60 x 100 cm
ミュシャ・プラハ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「黄昏(たそがれ)」は、沈もうとする太陽の最後の光を浴びながら、寝具で体を包み、就寝しようとする女性の姿で表現されている。背後の樹木は「曙(あけぼの)」の背景にも描かれているが、女性との位置関係の違いで一日の時間の経過を暗喩している。「黄昏」の色調は「曙」に比べて全体的にオレンジが強く、早朝の冷気を感じさせる「曙」と異なり、温かさを感じる。
「黄昏」「曙」の二つの作品に登場する女性の姿は、大地の擬人化とも考えられている。時の移ろいの中で繰り返される自然の営み、そしてその調和を喚起する作品である。
曙
Dawn
1899年 カラーリトグラフ 60 x 100 cm
ミュシャ・プラハ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「曙(あけぼの)」と「黄昏(たそがれ)」は、2枚1組の装飾パネルとして販売された。横たわる女性を横長の画面に描いた、ミュシャには珍しい構図だ。ミュシャは「四季」や「四芸術」(第2回参照)などの作品で、時の移ろいというテーマを描いているが、この2枚もそれを踏襲している。
ミュシャは「曙」を、地平線の彼方に昇る太陽とともにベッドから起き上がる裸婦として描いている。朝日が夜の帳(とばり)を払い、光の中で徐々に地上の営みが現れてくるイメージを重ねているのだろう。全体的に抑えられた色調が、夜明けの光の淡さを表現している。
モエ・エ・シャンドン「シャンパン・ホワイトスター」
Moët & Chandon: Champagne White Star
1899年 カラーリトグラフ 60 x 20 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
シャンパン「ホワイトスター」は、軽めでエレガントな味わいで知られる。ミュシャはそのイメージを、収穫されたばかりのブドウの房を手にした女性の立ち姿で表現した。縦長の画面と女性の背後に円環を配した構図は「アンペリアル」と共通だが、2種類のシャンパンの違いを視覚的に対比させるため、様々な工夫をしている。まず女性をブドウの木の下に配置し、屋外の場面とすることで明るさを強調。さらに薄手のピンクのドレスを着せ、素足に描くことによって、軽妙で親しみやすいイメージを演出した。女性にまとわりつくように地面から伸びるブドウのつると花のモチーフが、シャンパンの華やかな香りを連想させる。
モエ・エ・シャンドン「シャンパン・ドライ アンペリアル」
Moët & Chandon: Grand Crémant Impérial
1899年 カラーリトグラフ 60 x 20 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
モエ・エ・シャンドン社は、1743年に創業された世界有数のシャンパンメーカーだ。ミュシャの才能をいち早く認めたこのメーカーは、宣伝ポスターや商品カタログ、レストランのメニュー、ポストカードなど多くのデザインをミュシャに依頼した。
この作品は、「アンペリアル」と「ホワイトスター」という2種類のシャンパンの宣伝のため、対でデザインされたポスターの一枚だ。
「アンペリアル」は、1869年に初めて製造された同社のシンボルとも言える格式高いシャンパンであり、ミュシャはそのイメージを、縦長の構図をいかし、優雅な杯を手にした女性の立ち姿で表現した。女性がまとうビザンチン風の衣装と豪華なアクセサリーは、シャンパンの高貴なイメージを体現している。さらに、背後のステンドグラス風の円形モチーフや、獅子の彫り物が施された玉座などが、「皇帝 (アンペリアル)」という名前にふさわしい荘厳さを与えている。
四芸術「絵画」
The Arts: Painting
1898年 カラーリトグラフ 60 x 38 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
四芸術の「絵画」には、手に持った赤い花を愛でる女性が描かれている。水滴を落とす花と背後の虹が、雨上がりの太陽と、その光を浴びてみずみずしさを増す花の色を表現している。さらに、円環を飾るクジャクの羽の目模様が、視覚芸術の「見る」という行為を強調している。
ミュシャはこの連作で、後に「Q方式」と呼ばれる独特の構図の型を完成させた。このポスターのように、女性が円環に座り、衣の裾が下方に翻ることによってアルファベットの「Q」を形成する構図だ。Q方式は、その後しばしば作品に取り入れられ、ミュシャ様式の顕著な特色となる。繰り返される虹のモチーフは、見る者の視線を主題の花に向けて誘導する効果がある。ミュシャはこうした視覚心理学的な工夫に熱心だった。
四芸術「舞踏」
The Arts: Dance
1898年 カラーリトグラフ 60 x 38 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
「四芸術」は、舞踏、絵画、詩歌、音楽という四つの芸術をテーマとした装飾パネルの連作だ。ミュシャは、それぞれを擬人化して女性の姿で表し、一日の朝、昼、夕、夜、四つの時間帯の情景と組み合わせ、自然が人間に与える創作活動へのインスピレーションを表現した。
連作の最初の作品である「舞踏」は、朝のそよ風に長い髪と衣をなびかせながら、軽やかに舞う女性を描いている。女性の体に寄り添うように散る赤い花びらが、身のこなしの軽やかさを強調している。さらに女性を軸に、髪と衣の裾がらせんを描き、躍動感を生み出している。
スラビア銀行
Slavia
1907年 カラーリトグラフ 55 x 36 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
1869年に創設された、プラハのスラビア銀行のための宣伝ポスター。「スラビア」とは、スラブ民族の連帯を象徴する女神で、その名を冠する銀行の出現は、当時のチェコでの民族意識の高まりを物語っている。
白のガウンをまとったスラビアは、花のモチーフに覆われた円環を背に、平和を象徴する木彫りのハトで装飾された玉座に座っている。手にしているリングはスラブ民族統一のシンボルだ。
このポスターは、ミュシャが後の大作「スラブ叙事詩」のためにアメリカで資金集めに奔走していた頃に制作された。モデルは、シカゴの大富豪、チャールズ•R•クレインの娘ジョセフィーンだったといわれている。クレインはスラブ文化に造詣(ぞうけい)が深く、1909年の暮れ、ミュシャの「スラブ叙事詩」への出資に同意する。
夢想
Reverie
1898年 カラーリトグラフ 72.7 x 55.2 cm
プラハ・ミュシャ美術館
©︎Mucha Trust 2015 / coordinated by Studio OZ. Inc.
花のモチーフで飾られた円環を背景に、夢見るようなまなざしの女性を描いたこの構図は、ミュシャの作品の典型的なスタイルの一つだ。この絵は、1897年にパリの印刷・出版会社シャンプノワの自社カレンダー用に描かれ、上部の空白部分には社名などの文字が入っていた。ところが、たいへん好評を博したため、一般向けの装飾パネルが作られることになった。さらに、他社からもポスターに使いたいという依頼が相次いだこともあり、円環の色やレタリングなどを変えた7種類のバリエーションが存在する。
この作品は、「夢想」というタイトルで98年に販売された装飾パネルだ。デザインの見本帳と思われる書籍を手にした女性が、ページをめくっていた手をふと休め、夢想に入る瞬間を、左手の指先と目の表情で繊細に表現している。
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